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作品紹介Vol.3 

 

 

 

 

草花の見る夢

 

 M20(72.7cm×50cm)

キャンバス・油彩等

2019

 

花は殆ど描きません。自分の中に花を描く必然性がありませんでした。

花屋に立ち寄ることも好きだし、花の写真を見て美しいなぁと心底思ったりするのですが、そのことと自分が描くということがどうしても繋がらないのです。
それでも個展をするようになると、花や果実の絵なら飾りやすいのだけどという声をよく耳にするようになりました。なるほど、飾っていただいて初めて作品も生きてくるわけだし、花も描こうと思って挑戦したこともあります(写真1)。それでも真正面から生花を描いたのはこれまでに片手に満たない数しかありません。

自分で花を育てていたり、すぐそばに花屋さんがあって季節の花々がいつでも手に届く環境にあればまた変わるのでしょうが、自分の生活の中に花々がないのが大きな理由なんだと思います。買ってきて描いたとしても、季節によっては一週間ほどで花が萎れてしまいます。一週間の間に何日か仕事で家を空ける自分の制作ペースと花の命の長さが合わないので、しっかり描く前に小さく萎んでしまった花を見ると申し訳ない気持ちになります。

そんな中、2018年8月開催のデパートでのグループ展で先輩女性作家が見事な鶏頭の絵を発表されました。通りすがりにこの花を見た時、これは私だ!と感じ、持ち主に許可をもらい、根っこから掘って持ち帰られたそうです。

なるほど、自分の花を探すという視点なら私にも描けるかもしれない。翌年のグループ展に向け、「私の花」を探しました。


まず花屋に並ぶ花ではないことは確か。棘がある花でもない。大きな実をつけるような植物でもない。地味だけどしぶとく、決められた季節にちゃんと芽を出すー、雑草なら何だかしっくりきます。その中でもシンパシーを感じるなと思ったのはセイタカアワダチソウで、いろいろ調べてもみたのですが、あの複雑な構造は描き切れないような気がして今回はスルー。

 

そんなこんなで、あっという間に季節は秋から冬、そして春へと巡ってしまいました。

19年春の晴れた日に、駐車場のアイビーの壁の前に立っていた1本の草に目が留まりました。とても小さな草だけど、スッとまっすぐ立つ形が潔くて美しい。また小さなつぼみが沢山ついている上部は、複雑な分子モデルのような形でいつまでも眺めていられます。

 

この草が自分だとは思えないけれど、ふと、この草を描くのはどうだろうと考えました。

いや、こんな小さなもの描けないだろう、自分の技術力をよく考えろと、頭の中でもう一人の自分がストップを掛けたのですが、一晩おいても分子モデルのような形が忘れられないので、この草を小さな鉢に植え替えて制作をスタートすることに。

細かい描写が不得手な私でも、思いっきり拡大してしまえば描けるはず。

また、この制作では油彩とアキーラを併用して制作スピードを上げ、植物の変化についていけるようにしました。

不思議なのですが、鉢に植え替えられてからつぼみたちがものすごいスピードで花から綿毛へと変化。目が覚めるたびに綿毛の数が増えました。

 

人々が眠る時刻、月の光を浴びながらつぼみたちは「次は自分が花になる番」などと囁きあっているんじゃないかなと空想しました。そして、私がアトリエに運んでいなければ、月や星の明かりの下、ゆっくりと成長し、太陽の光を浴びたり雨に濡れたり、風に吹かれたりしていたのにーと考えるうち、作品は少し幻想的な雰囲気になり、背景には夜空や青空を暗示するものが入ってきました。タイトルの「草花の見る夢」はそういう経緯からついたものです。

さて、作品を描き上げた6月2日、鉢の草花も枯れてしまいました(写真10)。

色も作品の内容も、いつもとはちょっと違う感じなのですが、小さな鉢の草と過ごした濃厚な時間が詰まった思い出の作品です。


作品についてのお問い合わせは

アンクル岩根のギャラリー(090-2864-4852)まで。